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時空を超えて、人とつながる~骨髄バンクができるまで

2012.03.13 | スタッフブログ

今日は、全国骨髄バンク推進委員をされていた大谷貴子さんのお話をお伺いしました。
生きているだけで、幸せ ~ 大谷貴子さん

とても素敵なお話でしたので、ご紹介したいと思います。
(2時間のお話でした。すべてのご紹介ではありませんが、以下長文です。)

25年前に、25歳で白血病になった貴子さん。
当時は、白血病は不治の病で、開業医であった貴子さんのお父様も涙にくれる毎日。

今のようにインターネットもない時代、たまたまお姉さまがアメリカに嫁がれていて
その当時でも、アメリカではすでにパソコンで物事を調べることができ、
アメリカ人のご主人が白血病には、骨髄移植が有効であるということを調べ、
妹の病に気もそぞろなお姉さまにたくさんのプリントアウトした資料を
手渡してくれ帰国。

その頃、骨髄移植を日本の病院で伝えると、『それば夢の治療法です』と言われ、
病院で大きく落胆。そして、アメリカで暮らしていたお姉さまは、専門性の高い先生を
日本で探し、骨髄移植はできないけれど、いっしょに歩んでくれる先生に出会う。

その先生は、貴子さんがこれから感じる不安や苦しみを学ばしてください、
私は、貴子さんに病気のことを教えますから、
そして、将来骨髄移植ができるようになった時のために勉強しましょうと言われたそうです。

その時に印象的だったのは、ふつうお医者さんの椅子は大きく、
患者さんの椅子は聴診器をあてたりしやすいように丸い小さな椅子ですが、
こちらの病院は、医師と患者の椅子が全く同じ椅子であったことがとても印象に
残っていると。

骨髄移植をするための骨髄は通常、
兄弟姉妹が骨髄の一致の可能性が高いとされているが
そのことを病院で話しているとき、お姉さまは突然お腹が痛くなった。

実は、3人目を妊娠していたが、妹のために妊娠をあきらめ、全身麻酔をうけ
骨髄移植をすると心に決めていたが、カラダはなぜか反応し、
その姿を医師は見逃さなかった。

3人目をあきらめると言い張るお姉さまに、医師は根気よく説得を続け、
医師は、自分だけが助かって貴子さんは本当に喜ぶか、
貴子さんも、赤ちゃんも生きられるようにしましょうと説得して、
無事出産をしたお姉さまは、分娩台で出産したとたん、
骨髄検査を医師に求められたのでした。
(骨髄の検査はわずか2ccの血液検査で可能だそうです。)

しかし、その後の結果は、貴子さんとは合わない骨髄でした。
そこから、貴子さんは、
私を助けて、誰か助けてと友達に頼みまわったそうです。
しかし、全身麻酔が必要な移植にお友達は、受話器を置かれたと。

貴子さんは、その時を振り返り、自分の心に問題があったのですと。

発病前に骨折で入院し脚を吊っている友達のお見舞いに女友達で行き
ひとしきりおしゃべりして、がんばってね~言って帰宅。

すっかりお見舞いした気分になっていましたが、今思えば、
脚を吊っている人がもうこれ以上がんばることはなく、
カラダをふてあげるとか、お茶をかうとか、
こちらができるとはたくさんあったはず、、、。

そんな自分だから、全身麻酔までして、
骨髄を提供してくれる人は家族以外にいないと
勝手に思っていたのですと。

そしてなぜ、アメリカにはあるのに、日本には骨髄バンクがないのか?
東京で政府機関に骨髄バンクをつくるために、国が動くためにはどうすればいいか?
聞きに行った。国民の皆さんが求めれば 100万人の署名をあつめれば可能かもと。

貴子さんは、ばかにされていると思った。
大阪に帰る新幹線で、3時間泣いたり、地団駄踏んだりしたら少しは冷静になって、
到着した大阪で市議会議員の人に聞いてみると、いやあながちウソじゃないよと。

貴子さんは、私にできることがあると思った、署名なら集められると。
貴子さんは、メディアに訴えた。
コネはなくいつも読んでいる新聞の大阪本社に飛び込んだ。
記者が大きく書いてくれ、ほかの新聞社にも波及。

そして、見ず知らずの骨髄液の研究者からの連絡。

貴子さんの出身地
そして、ご両親、祖父母の出身地を次々聞かれ
意味がよくわからなかった。

大阪出身の貴子さん
両親は滋賀近辺
祖父母は愛知近辺

祖父母以上昔は、交通機関が今のように発達していないから
つまり、ルーツは愛知・岐阜・滋賀近辺。
その近辺で探すといいですよと。

通常両親は型が違うと言われていますが、
貴子さんのご両親は出身地が近い
だから、両親に検査をお願いすべきですと。

すると、お母様の骨髄の型が貴子さんとぴったり合った。

でもその時すでに、貴子さんは94パーセント体にがんがめぐっていて重篤。

一緒に歩んでくれていた医師ももう救う手段がないと。

お姉さまが食い下がった。
一緒に手術できる病院をさがしてくださいと、半分医師が、半分お姉さまが
電話をし続け、病院は見つかった。

しかし重篤な貴子さんをみて医師は助かる可能性は1%
手術をしたら、ご家族は会えなくなるし、お家に帰られたほうが、、、。

これは言葉のアヤだった、医師からみて受け入れるのを拒む言葉。

しかし、アメリカで暮らしてきたお姉さまにはこの言葉のアヤがわからなかったと。

1%でも生きる望みがあるなら、手術をしてくださいと食い下がった。

キャリアのある医師が拒む中、
若い医師が、私にお手伝いさせてくださいと言ってくれた。

人を助けたくて医師になった。

でも、本当に今助けられるのはお母様のみ。
そして、医師はそのお手伝い。
ぜひ、お手伝いをさせてくださいと。

それまで、貴子さんは、
全く知らない人に、全身麻酔までして提供する骨髄移植。
そんなお人好しなんて、この世にいないと思っていた。

でも、実は赤の他人ではなく
数世代前からつながる親戚を
時空をこえて助けることだと。

いま日本では、40万人が登録している。

生きていればなんでもできる。
生きているだけで、幸せですと。

骨髄バンクの活動を通してたくさんのつながりをもち
今は、病気に感謝していますと。

目の前の壇上にいる貴子さんは今年50歳。

一般的な50歳よりも、むしろ健康そうに、
年齢より、かなり若く見える。
つやつやに輝いている。

今は、白血病の種類によっては
薬を飲み続けることで、普通に暮らせる。

東日本大震災では、
命綱の薬を失った患者さんのために
募金をつのり、救助のヘリを東北へ飛ばした。

そして、東北から避難してきた家族も受け入れ。

私でもできることがある
お役に立てることがうれしいのですと。

軽快な関西弁のお話は笑いあり
でも、涙が止まらない2時間。

お話の最後には、
心の中にさ~っと
爽やかな春風が吹きました。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうござました。